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3日目にやってきたのが熊本県山鹿市にある芝居小屋「八千代座」です。
明治44年開設という大変歴史のある小屋で、とにかく雰囲気が良い!
客席は全席タタミで、中央部分が升席になってます。一升に4人が横並びで座り、中のほうから出入りするには仕切り棒の上を歩かないとなりません。これがまた何とも言えず良い光景なのです。
夜のライトアップもしびれます。全部の提灯に灯りが入り、付近のライトで照らし出された八千代座は静かな場所と相まって幻想的。
まだまだ八千代座の話をしたいけど、とりあえずこの辺にしておきましょう。
さらに詳しいことは八千代座公式サイトを覗いてみてください。
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熊本から鹿児島へ行き、また熊本へ戻って港からフェリーで長崎県島原半島へ。
島原といえば雲仙普賢岳の火山活動が有名ですね。1991年に起きた大火砕流の惨事が記憶に新しいところ。爪あとは各所に残ってますが、全体的にはかなり復興されたようです。
災害が起こった斜面と反対側にあるのが雲仙温泉。こちらは噴火災害はほとんど影響なく、昔ながらの温泉街として賑わっています。
そこら中に原泉があり、方々から湯気が立ち上っています。この大量の湯気が道路へ流れて車の視界を遮ることも。危険です。
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これはどこだったかな。。。
たぶん九州自動車道の桜島サービスエリアだったような。
道中はワゴン車での移動。
長崎と鹿児島を行ったりきたりしてると、途中の休憩所が大きな楽しみなのです。
何と言っても名物品の買い食いが醍醐味でしょう。
でもなぜか鹿児島で「北海道ソフトクリーム」が売ってるのです。しかもこれがまた旨かったりして。
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鹿児島湾(錦江湾)を横断するフェリーにて。
11月下旬でも気温は高め。18度ぐらいあります。
青空の下、みんなでデッキではしゃいでいたら突然桜島が噴火。噴煙が風に流されて我々の方へ。灰が降るほどのことはなかったけど、少々煙い気分でした。
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今度は長崎。
わりと時間があったので色々と観光してきました。
まずは有名な平和公園。
写真や映像でしか見たことのなかった平和記念像も間近に見ることが出来ました。
今まではここが爆心地だと思ってたのだけど、違うということが判明。
と言ってもこのすぐ近くですが、爆心地公園という場所があり、中心地点に黒御影石の塔が建っています。
原爆投下当時はここに刑務所(支所)があり、受刑者・刑務官とも全員犠牲に。
刑務所の土台が少し残ってて、当時の様子が伺えます。
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続いて坂本竜馬が興した会社「亀山社中」の跡地。
車はもちろん自転車も通れないような、石段続きの斜面をしばらく登って行くと跡地はあります。民家の一部に展示物が置かれており、係の人から詳しい解説が聞けます。
長崎市内が一望できるこの丘の上に亀山社中を置いた理由は、港に着く船や街道を往来する人々の動きがよく見えたからだそうな。
いやぁしかしここは宅急便や郵便は大変ですよ。昔尾道の似たような場所がCMに使われてたけど、ここも十分素材として使えます。 |
この亀山社中を管理してる家におばあちゃんが居て、暇だったのか色々とお話をしてくれました。
この場所に65年住んでるという方で、やはり原爆を体験されたそうです。
このおばあちゃん、もう80を越えてるのに、ハキハキとした喋りなのです。
当時の体験談を聞ける貴重な機会だったので、色々と伺ってみました。
以下おばあちゃんの話。
「あの日(20年8月9日)はよく晴れて暑い日だった。ちょうどお昼ごはんの準備をしてる時にブーンという飛行機の音が聞こえてね、おや?と思って外へ出た時にはもう原爆が落ちた後。あっちに丘があるでしょう(写真右)。あの向こうに爆弾が落ちたんだよ。だからこっちは何も被害なし。当時私は三菱造船所で働いててね、工場は壊滅状態。
え? どうして私がここに居て助かったかって? それはね、あの日は会社をサボったからだよ、うひゃひゃ。朝家を出た時になぜか嫌な気になってね。母も、そんなに気分が悪いなら家に居なさいって。虫の知らせかねぇ。それで私だけ助かっちゃった。
で、爆弾が落ちてすぐ表へ出たら空が綺麗なエンジ色だったの。紙切れや木片がひらひらと舞っててね。その後すぐ灰色になってまたすぐ黒。
本当は今の県庁がある方の三菱造船所を狙って落としたらしいのだけど、急に突風が吹いて山側へ流れたみたい。爆弾が落ちた辺りにはキリシタンがたくさん住んでて、あっちにはなるべく被害がないように計算したらしいけど、まるで逆になっちゃったんだね。
原爆の放射能で髪の毛が抜けたり、身体中に斑点が出来たり、そりゃもう後遺症で死んだ人の方が数多いんだから。長崎はガンになる人が多くてね、うちのお父さん(旦那)も胃ガンで一昨年死んじゃった。お父さんは・・・」
ここから亡くなった旦那さんのガン治療と闘病生活の話になったので、それは割愛させていただいて、この辺でおしまいにします。
ちなみにこのおばあちゃん、本当は強烈な長崎弁ですが、読みやすく直してあります。
というわけでちょっと偏った内容になってしまいましたが、色々と内容の濃い旅でした。
次回の長旅をお楽しみに。 |