2004年2月10〜21日 シリア・オマーン公演  3.シリア・ダマスカス
◆首都ダマスカス

 日本を出発して二日目、ようやく中東へ入ります。
 ブルガリア、黒海、そしてトルコの上空を抜けてシリアの首都ダマスカスへ。

 飛行機の窓からは緑豊かな山々から、荒涼とした大地へと景色が変わって行くのが見えます。ホントに木がないですよ。砂漠砂漠。

 中東でも北側は雪が降ります。
 砂山に雪が積もってるなんて不思議な光景だなぁ。

 しばらくすると高度を下げ始め着陸態勢に。
 ようやく人家が見え始めると、これがまたいかにもこの地方っぽい家々なのです。
 砂地に建つ四角い石の家。
 モスク(イスラムの寺院)も見えます。
 テレビでしか見たことのない、それも悪いニュースでばかり見るような町並みが眼下に広がると、だんだん緊張感が沸いてきました。

 

 イスラム国では注意事項がいくつかあり、代表的なものは「女性に触れてはいけない」と「写真撮影に注意」というのがあります。

 女性に触れてはいけないというのは、言葉だけで見れば「日本でも痴漢行為になるから当たり前」と思いますが、そういう意味ではなく、例えばすれ違う時に肩と肩がぶつかっただけでも大騒ぎ。ようするに事故的な接触でも咎められるのです。
 だから親しく会話するなんてもっての他。

 写真撮影については、ただ単に町並みや風景を撮るのはOKだけど、上記の理由から女性にカメラを向けてはいけないし、撮影禁止施設のカメラ使用は厳禁。軍が絡む施設などは秘密警察に捕まります。

 と、この辺のことを先にレクチャーされていたので、ダマスカス国際空港が近付くにつれ、緊張感が高まってきたのです。

 そして到着。
 入国審査は大使館の配慮でスムースに済み、一行は荷物を持って建物の外へ。
 と、いきなり強い日差しが襲ってくる! しかも西日。んー強烈です。

 2月のシリアの平均気温はほぼ東京・大阪と同じか、もっと寒いぐらい。
 ところがこの日はかなり暖かく、ウィーンでは大活躍だった防寒具も瞬時にお荷物に・・・

 後で本当の寒さを思い知ることになるんですが、このときは温暖な気候に
「なんだ、シリアあったかいじゃーん」
などと喜んでました。

◆ダマス市街へ

スヘイルさん
 我々がシリアに居る間中、大使館が手配してくれた貸切バスが移動の世話をしてくれます。

 その運転手のスヘイルさん。
 もうとにかく運転が上手で、もしかしたらミリ単位でバスを扱える人です。

 道路事情に関しては無法地帯とも言えるシリア。ある程度の腕と度胸がないと運転は無理。
 マゴマゴしてるとすぐさまクラクションを鳴らされます(笑
 そんな中でもピカイチの腕前を見せるスヘイルさんなのです。
 空港から市街地までは30km以上離れており、バスでハイウェイ(のような一般道)をすっ飛ばして、まずはホテルへチェックイン。

 宿はシェラトン・ダマスカス。
 有名な5つ星ホテルチェーンのダマスカス支店ですが、聞いた話によるとここは名前はシェラトンだけど、中身はシリア政府がやっているのだとか。
 だからポーターさんもフロントのおじさんもみーんな公務員(笑

 
◆大使公邸でレセプション

 夜は日本大使公邸にてレセプションパーティーに出席。
 大使が普段暮らしてるお家の1階部分が広いレストランのような造りになっており、大勢のお客さんを招いて賑やかにパーティー。
 賓客は各国大使や夫人たちで、その筋ではかなり偉い方々ばかりです。
 このご時世だからちょっとテロにドキドキしちゃいましたけど。

 前もっての大使からの依頼で、この場で演芸を少し。
 各国の皆さん、鑑賞慣れしてるというか「観る」姿勢がすばらしいのです。
 掛かる声も「ブラボー!」「エクセレント!」などなど国際的。

 

 この後お開きになるまで食べて飲んで歓談歓談。
 実にどうもエレガントな時間を過ごさせていただきました。

◆ダマスカス大学公演

 さて、いよいよ国際交流基金の本公演初日を迎えました。
 会場はダマスカス大学講堂。日本風に言うとダマ大です。

 大学の正門付近には公演のポスターや垂幕が貼ってあり、新聞にも紹介されたらしく、宣伝活動はまずまずの模様。
 垂幕には「日本の伝統技芸公演」とか「いらっしゃいませ」とか「ようこそ」とか「今日やるよ」とか、何かそんなようなことが書いてあるんだと思います。たぶん。
 ・・・だって読めないし。

 ところでアラビア語というのは右から左に向かって書くんですよ。
 数字も123ではなく、独特のものがあります。お金もアラビア文字で書いてあるから、いくらのコインなのか解らなかったりして困るんですが。

 公演用のポスターも方々に貼られてるのだけど、一箇所ものすごいウソがあります。
 まぁ一目瞭然なんですけど、手品の和田奈月さんの右下にいるのは・・・仙之助仙三郎ですねぇ。

 いやぁ懐かしい。
 二人で花笠とってる写真で、しかもこんないいポーズのはなかなかありませんよ。
 遠く離れたシリアの地でまさかこれを見ることになろうとは(笑

 この写真になった経緯は色々あるんですが、一行はこれを見て誰も文句は言わなかったので、よしとしましょう。



 こちらの講堂は大変綺麗で、照明・音響等設備もなかなか充実。
 しかし裏方は我々とシリア人の共同作業なので、打合わせの段階で大きなロスが発生してしまいました。
 微妙なニュアンスというのが伝わりにくく、音響操作のシリア人も「音のキッカケ」という慣れない作業に悪戦苦闘。
 思った以上の言葉の壁です。
 それでもどうにかこうにか本番までに落ち着き、いよいよ開演。

 

 お客さんはダマ大の学生と一般市民がほとんどで、250名ぐらいの入り。
 通訳はマンスールさんと言って、2回目の公演地アレッポにあるアレッポ大学の先生が担当してくれました。
 マンスール先生は大変日本語が達者で、違和感無く会話が出来るほど。
 ちなみに日本では東北大学、茨城大学、広島大学、そしてなんと東京大学で学んだという、日本人ですら大変な偉業を成し遂げた人なのです。

 さて、そうは言っても通訳入りのステージに慣れてない我々は、いまいちタイミングがつかめず、リズムがわからないままの公演となってしまいました。
 紋之助兄と和田さん梨木さんはウケていたようですが、仙一・勝丸コンビは敗北感に包まれた初日公演。
 技のウケ処も日本人とは違うようで、細かい技よりも大きな動きをする技のほうが受け入れられるようです。
 これを糧に次の公演はもっとうまくやろう。

◆旧市街でディナー

 何はともあれ公演が無事終了し、荷物をホテルに置いてからディナーへ出発。
 向かった先はオールドシティ(旧市街)と呼ばれる一帯で、ダマスカスの中でも特に歴史がある区画。
 バスを降りるとそこはもうまるで映画の1シーンに出てきそうな場所!
 石造りの家や城壁で構成される路地路地路地。
 我々の感覚からすると、歩いてるだけで身の危険を感じてしまうような暗い路地なんですが、実はファミリーユーズな店が揃ってるのがこの辺で、子供連れの家族がそこら中を歩いてます。

 そういえばシリアって日本より治安がいいんですよ。
 この国は犯罪に非常に厳しく、特に警察機関の治安維持と公開処刑の実在がそうさせているのでしょう。
 だから暗い路地裏の危険度は日本の方がよっぽど高いのだとか。

 

 そしてクネクネ曲がった路地をしばらく進んでアラブ料理の店にイン。
 薄暗い店内は民家を改造したような造りで、各テーブルの脇には水タバコ装置が配備されてます。
 この店はバイキングスタイルで、適当に料理をチョイス。
 ちなみに酒は置いてません。

 店のよく目立つ場所では民族音楽が演奏されており、なかなかの雰囲気。
 すると突然一人が立ち上がり、目の前でクルクルと回り始めたのです。

 

 スーフィーダンスというらしく、自分にとってツライことを繰り返すことでトランス状態になり、より神に近づけるというのが発祥だそうな。
 ここでは2〜3分程度回って終了ですが、エジプトやスーダンでは30分も回り続けるのが普通らしい。
 しかし大迫力で、思わずみんなで祝儀をはずんでしまったですよ。

 さて、予想以上に楽しいディナーを終え、また路地を抜けて大きめの通りへと戻ります。
 バスに乗り込み、いざホテルへ、というところで運転手のスヘイルさんが激しくクラクションを鳴らしてるので何事かと思ったら、二重駐車のためにバスが通れないのです。
 いくらクラクションを鳴らしたところで向こうの車に誰も乗ってないんじゃどうしようもないんだけどねぇ。

 するとスヘイルさん、バスから降りて数人の男達と何やら話し合ってます。
 たぶんこの男達は後続車のドライバーと思われ。

 そしてあろうことか車を皆で持ち上げ、物理的に移動開始!

 すげぇ・・・・・・・
 漢(おとこ)だ。

 我々一行には度肝を抜くほど驚きの光景だったのだけど、後で聞いたら「よくあること」なんだそうな。

 まじすか。

 でもたしかにこの翌々日にもう一回遭遇したからなぁ。
 うーん、シリア恐るべし。



シリア基本情報
国名 シリア・アラブ共和国
首都 ダマスカス(Damascus)
言語 アラビア語(公用語)、英語も多少通じる
宗教 イスラム教85%(スンニ派70%、アラウィ派12%)、キリスト教13%
通貨 1シリアポンド=約2円
備考 キリスト教の聖書の舞台

           

 1.出発
 2.オーストリア・ウィーンの夜
 3.シリア・ダマスカス
 4.シリア・パルミラ遺跡
 5.シリア・アレッポ
 6.オマーン・マスカット


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